Welcome !
泉州のインターコンチのチェックインカウンターの壁面は素晴らしかった!
海のシルクロードの東の起点、中国福建省泉州への旅の続きです。
▶︎ 開元寺町通りをぶらぶら
寺町通りには、アラブとの交易の記憶が残る建物が今でもあり、アラブ風なカーブのある小さな窓が並んでいる中国風建物は、この地に根をおろしたアラブの商人によって建てられたのがオリジナルだったのでしょうね。
あまりの暑さに、思わず入ってしまったジューススタンドのようなお店〜
寺町通りのジューススタンド
ストローに日本語の「の」が入っていたのが面白かった^^ お店の可愛い女の子が、
当時のレートは1元=15円なので、210円のドリンク🥤
「日本語勉強しています」
「日本に行くのが夢!」
と笑顔で語っていたのが印象的。ここまで来る日本人はそう多くないと思うので、きっと彼女の日本語学習のモティベーションも少し上がったかも^^;
ここから、今度は泉州のモスク🕌に行こうとなりタクシーを探したけれどいなかったので、東南アジアでよく走っているバイクに座席が付いたトゥクトゥクに乗ってモスクへ。
確か10分ぐらいで着いたと思うけれど、結構安全運転だったので、危険は感じなかった。
▶︎ 泉州のモスクは中国最古
千年以上の歴史を誇る中国最古のモスクである泉州のモスクは、海のシルクロードを通じてアラブからもたらされたもの。
モスクの入り口
14世紀初頭には、ペルシャ、現在のイランのシラーズから来たイスラム教徒が寺院を修繕。当初はシリア風だったモスクは、その修繕によってイランのモスクとよく似ているのだそうだ。
今でもモスク建設に関わったアラブ人の子孫たちは、600年以上経た今でもモスク周辺に数多く住んでいるそうで、
「泉州のイスラム系の家系には、蒲、丁、郭の三つの苗字が一番多い」
「イスラム文化の伝統も一部残している」
モスクに到着したら、ちょうど礼拝が始まる前だったようで、顔立ちは中国人そのものでも、大勢の白いイスラム帽子姿のイスラム教徒がモスクに入っていく様が目に入った時、少しデジャヴを感じた。
世界中の商人が泉州に!
この本が一番面白ろかった^^
ちなみに、なぜこのような帽子を被るかというと、イスラム教徒的に、頭は霊の宿る人体で最も神聖な場所で、他人に触れさせてはならないので、プロテクトするためと考えられているのだとか。
このモスクで感じたのは、千年以上の時を経ても、最初にこの地に落ち着き先を求めたアラブの人々の想いがしっかりと現在に繋がっているということ。
モスクの後は、タクシーで楽しみにしていた泉州海外交通史博物館へ。
▶︎ 泉州海外交通史博物館
http://www.qzhjg.cn (日本語サイトはググッても出てこず)
正面入り口の海のシルクロードを表した壁面ディスプレイが目に入った瞬間、
これが正面入り口に!
「うわぁ...この船知っている...」
「見たことがある...」
と涙腺大決壊... 夫が
「とにかく落ち着いて」
とソファへ連れて行ってくれたぐらい感情が揺さぶられてしまった。
いやぁ、我ながらびっくり🫢
泉州に行くと決めた時は、泉州にいたことはわかっていたけれど、まだ『海のシルクロード』の船乗りだったことも知らず、
ブログ記事タイトルに、『海のシルクロードの船乗り』と書いていても、実はこの博物館に行くまでははっきりとわかっていなかった。
リーディングで事前に深掘りすることもできたけれど、よほどの事がない限り、現地で感じる方を選ぶので、この時にようやく魂の記憶とぴったりリンクできた感じ。
一番見たかった交易船は、展示室の修繕中で見ることができなかったけれど、東洋一の品揃えだった交易品やイスラム資料等の展示品は見応えがあった。
中国人とアラブ人の交易風景
大型スクリーンで紹介される当時の交易の様子のCGも素晴らしかった。わたしは前世で数回この交易船に乗っていて、最後は嵐で海に沈んだみたい。
*
私って何回も前世で海や川でも亡くなっているせいか、今世でも水の側より山が好きなのは確か。
あ...夫の苗字にも「山」がついていた」💦
「全部生まれる前に決めてくる」
とはこのことね😅
これからの投稿予定は、カテゴリーをご覧くださいね。閃いた時に追記しています。
プライバシーポリシーおよびお問合せはこちらからお願いいたします。